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劇団前方公演墳「恋が散る、雪が舞う」特設BLOG
  最終更新日
要旨 劇団前方公演墳第二十三回公演 第十八回池袋演劇祭参加作品「恋が散る、雪が舞う」特設BLOGです。
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作成
言語 ja
71年目の2月26日
公開:
要旨: あの夏の日を思い出しながら。賢崇寺の境内の坂を昇っていった。思えば、この坂を昇ってからあの舞台が始まった。あんなにテカテカに輝くほどの坊主頭も。今は毛がすっかり伸びていて。それどころか、ライブなどのために金髪になっている。様々な人が喪服で集まっている中で。おいらは、私服のまま、奥へ奥へと進んでいった。昨日はあの日に一緒に行った織田君がお墓参りをしたそうだ。今日はあの日に一緒に行った中野圭と一緒に行く予定だったけど。急遽、具合が悪くなって一人で行くことになった。すぐに奥へ奥へと...
あの夏の日を思い出しながら。
賢崇寺の境内の坂を昇っていった。
思えば、この坂を昇ってからあの舞台が始まった。

あんなにテカテカに輝くほどの坊主頭も。
今は毛がすっかり伸びていて。
それどころか、ライブなどのために金髪になっている。
様々な人が喪服で集まっている中で。
おいらは、私服のまま、奥へ奥へと進んでいった。

昨日はあの日に一緒に行った織田君がお墓参りをしたそうだ。
今日はあの日に一緒に行った中野圭と一緒に行く予定だったけど。
急遽、具合が悪くなって一人で行くことになった。

すぐに奥へ奥へと進む。
人が多い。
あの夏の日の朝には殆ど人がいなかったのに。
午後を回ったぐらいになるとこんなにも多くの人が来ていたんだ・・・。

お墓で手を合わせる。
線香も用意していなかった。
頭の中をあの舞台が、あの遺書の言葉が、あの思いが走る。
当たり前のように涙が出た。

あの舞台の初日から。
もう5ヶ月経つ。
あれからおいらは、ライブやイベントや。
何度となくステージに上がった。
稽古場では既に次回公演に向けての稽古が進んでいる。
もう次回公演まで残すところ2ヶ月をきっている。
頭の中には次回公演のことが半分以上を占めている。
それなのに。
手を合わせて思いを馳せるだけで。
春一番が吹いた後の2月26日に。
雪が降っていたんだよなと思い出す。
紙吹雪の雪だったけれど。
記憶の中では、本当の雪に摩り替わっている。

境内に戻って。
お堂の中から聞こえる鐘の音に足を止めた。
このまま帰ろうと思ったけれど。
暖かい春の日差しの中。
この鐘の音を最後まで聞こうと心変わりする。

1時間後。
法要が終わったようで、人が出てくる。
おいらは、お堂の中に入って。
安田さんと今泉さんに挨拶をした。
・・・金髪に面食らってたな・・・。
他にもたくさん・・・舞台に来てくださった方々に挨拶をしたかったけれど。
安田さんに冷たいものでも飲んでいってくださいと言われて。
すぐに辞退して、帰ろうと思った。

おいらはきっときっと。
死ぬまで2月26日を忘れることはない。
恋が散る、雪が舞う
公開:
要旨: 劇団前方公演墳旗揚げ八周年の日。このBLOGを終えようと思う。はじめこのBLOGを書いた時。毎日書くとなんてちっとも思っていなかった。平日稽古や舞台本番中まで毎日書く事になるなんて。本当はもっとたくさんの劇団員が写メール投稿出来る様な特設BLOGだったはずだ。二・二六事件については全てを書けた訳ではない。ここに書けなかった事の方が多いぐらいだ。それぞれの事象を一つのエピソードとして掘り出して、違った角度から書こうと毎回資料との格闘だった。想像以上のアクセス、想像以上の反応が僕...
劇団前方公演墳旗揚げ八周年の日。
このBLOGを終えようと思う。

はじめこのBLOGを書いた時。
毎日書くとなんてちっとも思っていなかった。
平日稽古や舞台本番中まで毎日書く事になるなんて。
本当はもっとたくさんの劇団員が写メール投稿出来る様な特設BLOGだったはずだ。

二・二六事件については全てを書けた訳ではない。
ここに書けなかった事の方が多いぐらいだ。
それぞれの事象を一つのエピソードとして掘り出して、
違った角度から書こうと毎回資料との格闘だった。
想像以上のアクセス、想像以上の反応が僕を支えてくれた。
安藤さんからの手紙や末松さんからのコメント、河野さんからの手紙。安田さんの言葉。
今でも自分で信じられないような事が多い。

時には眠い目を擦りながら。
時にはゴホゴホと咳をしながら。
なんとか続ける事が出来たのは全て皆様のおかげです。
何度も推敲するような時間が無いからどうしても誤字・脱字・誤認が混じってる。
改めて読んで誤字を見つけたりすると直そうという意識よりもそんな日々を思い出してしまったり。

恋が散る、雪が舞う

作品は終わった。
もう既にお客様の記憶の中にしか作品は存在しない。
それは歴史と同じで繰り返される事はない。
再演希望はあるけれど、今はまだまだ白紙状態だ。
僕たちは次の舞台へと進まなければいけない。
次の舞台でも特設BLOGを設置するのかどうかなんてわからない。

作品は終わったけれど。
まだ続く事だってある。
としまテレビでの放映だってある。
この公演の後の処理もまだまだ続くだろう。
そしてこの公演で学んだ事も一生続いていくだろう。

長らくのご愛読ありがとうございました。
稚拙な文体であるにも関わらず感謝の気持ちに耐えません。
皆々様に作品をより楽しんでいただければとの思いからスタートしました。
少しは皆様のお役に立ちましたでしょうか。

勿論、このBLOGを削除するわけではございません。
コメントもトラックバックもしばらくはフリーのままにしておきます。


願わくば今後とも劇団前方公演墳への応援のほどを。
これからも精進して前向きに進んで行きたいと思います。

心から感謝の気持ちを込めて。
舞台を通して学んだ事
公開:
要旨: 本日、2006年10月9日。北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国が核保有国となった。金成日総書記の指揮の下とは言え、科学者、軍人、大勢の人が関わっただろう。日本に住む以上、日本の報道は日本の心配を当然する。日本に放射能汚染の危険性はないのか?アジアにおける日本の立場がどうなるのか?日本に進駐しているアメリカ軍がどう動くのか?その報道を見るだけで僕は難だか哀しくなってきてしまう。放射能汚染が最も危険なのは北朝鮮の国民だ。アジアにおける位置がもっとも孤立するのは北朝鮮だ。アメリカ軍が...
本日、2006年10月9日。
北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国が核保有国となった。
金成日総書記の指揮の下とは言え、科学者、軍人、大勢の人が関わっただろう。
日本に住む以上、日本の報道は日本の心配を当然する。
日本に放射能汚染の危険性はないのか?
アジアにおける日本の立場がどうなるのか?
日本に進駐しているアメリカ軍がどう動くのか?
その報道を見るだけで僕は難だか哀しくなってきてしまう。
放射能汚染が最も危険なのは北朝鮮の国民だ。
アジアにおける位置がもっとも孤立するのは北朝鮮だ。
アメリカ軍が攻撃姿勢に入れば被害を受けるのは北朝鮮の国民だ。
これからの厳しい冬に向かって、核開発に金を投入した政府。
これから何十万人の人が・・・いやもっとか?・・・飢えに苦しむ事になる。
そして繰り返されてきた対話の要求の目処すら未だ立っていない。

僕たちがこの舞台を通して学んだ事とはなんだろう。
どこにでもあるような恋の話を通じて。
日本もかつて今の北朝鮮のように農村の貧窮が極度に達した時代があった。
今回の舞台でそれは殆ど語られることはなかったけれど。

僕たちはこの二二六事件の前の時代を知っている。
封建社会の打破を明治維新の志士達が行った事を知っている。
アジアがアングロサクソンにとっての狩猟場となって植民地化される中。
士農工商社会を打倒して、議会政治である立憲君主制の近代国家へと生まれ変わった事を。
そして僕たちはこの二二六事件の後の時代も知っている。
陸軍軍部の暴走がやがて日本国民全体の狂騒となった事も。
自分の息子を戦地に送り出す時に万歳三唱をした事も。
そして世界で唯一の核被爆国になって、何十万人もの人が一瞬で蒸発した事も。
その焼け野原から占領軍に体を売ってでもこの国を再建してきた事も。
資源のない国が世界の中の国として貿易国家となるまでを知っている。

多くの屍の先に僕たちは立っている。
屍に敬意を感じながらも。
僕たちは学んでいる。

今、世界で起きている事に目をつぶるのは表現者としての死だと思う。
かと言って、実は今の時代に生きている以上。
すぐそばに転がっているエピソードも全て世界に繋がっているといえる。
二二六事件の話を例えば農村を舞台に演じる事だって可能だった。
それなのに僕たちは恋愛を中心にこの舞台を演じることになった。
そしてそれは、過去の事件をとりあげながらも。
今の時代に向かって演じていたのだと僕は信じている。

何故なら誰もが共感できたからだ。
どこにでもあるような夫婦の存在を信じたからだ。
お客様の感想を読んで僕はすっと心が軽くなった。

行った事件が正しいか間違っていたのかはわからないけれど。
真剣に生きた人がいて、真剣に愛し合った恋人がいて。
そういうどこにでもあるような恋愛を本当に大事にしようと思いました。

そんな感想だ。
舞台を見る前と見た後の私が変わりましたという感想まで。
今の時代よりも、たった一つの恋愛に真剣であると感じた。
そんな感想まであった。

北朝鮮にもきっと青年将校や志士がいるのだろう。
このままでは国が、国民が、駄目になる。
そう真剣に悩んでいる若者がきっといるだろう。
僕たちは学び続けなければならない。
隣の国が核を保有した。
ミサイルを発射した。
日本の国の本屋には好戦的な本が少しずつ増えている。
過激な論旨が新聞にすら踊るようになってきた。
明日、何が起きるのか輪からない時代に突入しようとしているの?
まさか、またしてもどこかで恋人が泣くような時代がやってくるの?

舞台の最後に。
田中久子が石を投げる。
もう死んだはずの将校がその後ろに現れる。
多くの妻たちがその後も。
例え肉体を失っても、青年将校たちと生きていった。
そんなイメージの具現化の瞬間。
妻たちだけではなく。
僕たち全員が多くの人々の意思の上に生かされていることを知る。

戦争反対などというチープなテーマじゃない。
核廃絶などというどこにでもありそうなテーマの物語じゃなかった。
本当に大事なものを個々人がもう一度考えるような。
答えは常にお客様に委ねるような舞台だったのだとまたしても思う。

世界は今も混沌としているけれど。
僕たちは流されずに自らの意思を大事にしよう。
演劇などというものの存在価値がどこにあるのかもわからない。
ただの娯楽でしかないのだから。
楽しい、面白い、笑ってしまう、泣いてしまう。
たったこれだけのことに全精力を傾ける役者とはなんなのだろう?
たったそれだけのために毎日こんなに長い文章を書いてしまう情熱とはなんなのだろう?
ある意味では狂気なのかもしれない。
ある意味では愚かだと言ってもいいだろう。
それでも僕は大事な何かを信じていこうと固く決心する。

舞台から学んだもの。
それは歴史の一幕ではなかった。
現在を生きていく僕の太刀位置だった。
そう思えて仕方がない。
反省会
公開:
要旨: 公演から一週間という時間が過ぎた。今日は劇団員全員での反省会が行われる日。僕はPASHIRIにも出演していたからPASHIRIの反省会から。輪になって自分達の芝居について反省を重ねる。反省点を抽出してそれを繰り返さないことこそが進歩の道。例えその道が遅すぎる一歩だったのだとしても。もっとも着実でもっとも正しい一歩。その後は全員揃って未来についての話が始まった。デビッド宮原は「信じる」という言葉を口にした。この劇団をもっともっと大きくする。もっともっとたくさんのお客様に届けたい...
公演から一週間という時間が過ぎた。
今日は劇団員全員での反省会が行われる日。
僕はPASHIRIにも出演していたからPASHIRIの反省会から。
輪になって自分達の芝居について反省を重ねる。
反省点を抽出してそれを繰り返さないことこそが進歩の道。
例えその道が遅すぎる一歩だったのだとしても。
もっとも着実でもっとも正しい一歩。

その後は全員揃って未来についての話が始まった。
デビッド宮原は「信じる」という言葉を口にした。
この劇団をもっともっと大きくする。
もっともっとたくさんのお客様に届けたい。
そしてもっともっと大きな劇団になることを信じると言った。
僕は大きく頷いていた。
信じるだけだ。
あの青年将校のように。
失敗を恐れずに前進することしか僕たちには許されていない。
まだまだ超えるべき課題はある。
その課題を超えて行けばいい。
無理だとか、諦めるだとか。
そんな事を口にしないのだ。

アンケートと手紙を受け取った。
お客様一人一人のありがたい感想が目に飛び込んでくる。
こんなにも応援してくれる人がたくさんいる。
こんなにも芝居を観劇してくださったお客様がいる。
僕たちはもっともっとお客様に夢を見せていかなければならない。
僕たちがこの親愛なるお客様に出来る事はそれぐらいしかないのだ。

手紙を見ると。河野進さんからの手紙だった。
最初の数行でもう涙がにじんでくるのを必死で我慢することになる。
・・・自決した河野寿の甥で、自決のためのナイフを差し入れた兄・司の息子です・・・
A4の用紙にビッシリと4枚。ワープロでの印字。
作品への思いを綴ってくださっていた。
実際の田中久子さんや、野中美保子さんのひととなり、
或いは、中橋中尉と恋に落ちた芸者の話。
一つ一つがなんだかどうにも出来ないような思いに駆られる内容。
ありがとうございますと書かれた手紙に恐縮をしてしまう。
こんなステキな手紙を頂く事こそ、感謝だというのに。

芝居はつくづく。
演者だけでは成立しないのだと改めて気付く。
演者の都合などむしろ大した問題ではない。
お客様が、見てくださる方々がそこにいてこそ。
その作品に命が灯る。

僕たちの進む道は一つだと改めて思う。
もっともっと精進して。
もっともっと前進して。
もっともっとたくさんの人に知って頂くことのみだ。
牛歩でもいい。
馬鹿のような壁にぶつかるような劇走でもいい。
僕たちは前進し続けるしかないんだ。

反省をした。
芝居を省みた。
思いは続く。
恋が散る、雪が舞うは終わった。
けれど何も終わってはいない。
何一つまだはじまってもいないかもしれない。

そしてお客様にもっともっと期待されるような。
そんな芝居をただただ続けていくんだ。
裏話6:祖父は友達と言った。
公開:
要旨: 二・二六事件は僕たちの想像を越えて近い時代の事件だった。現代を生きる僕らにとって戦中と戦後には大きな大きな隔たりがあるという錯覚がある。アジアの問題は今もニュースを賑わしているけれど、そんなに昔の事を・・・と思ってしまう自分がどうしてもいる。既に戦後世代の孫が成人する時代だから仕方がないのかとも思う。安藤大尉が襲撃をした鈴木貫太郎さんの自伝を今、読んでいる。鈴木貫太郎さんが生まれた年が慶応3年。龍馬さんが暗殺された翌月に生まれて、生まれてすぐ明治維新となっている。成人してから...
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二・二六事件は僕たちの想像を越えて近い時代の事件だった。
現代を生きる僕らにとって戦中と戦後には大きな大きな隔たりがあるという錯覚がある。
アジアの問題は今もニュースを賑わしているけれど、
そんなに昔の事を・・・と思ってしまう自分がどうしてもいる。
既に戦後世代の孫が成人する時代だから仕方がないのかとも思う。

安藤大尉が襲撃をした鈴木貫太郎さんの自伝を今、読んでいる。
鈴木貫太郎さんが生まれた年が慶応3年。
龍馬さんが暗殺された翌月に生まれて、生まれてすぐ明治維新となっている。
成人してからは海軍の将校として、日清・日露・第一次世界大戦に参戦。
その後、軍人退官後侍従長となって政治の中枢に入る。
二・二六事件では君側の奸の一人として襲撃をされるも、
昭和天皇、秩父宮の教育係として保母を務めた妻たかの一言で辛くも命を拾う。
その後、現在においてもたった一人、天皇陛下にお願いされての総理大臣就任。
そしてポツダム宣言受諾を陸軍の反対を押し切り本土決戦を避け成し遂げる。
終戦数年後に没。
あたかも、近代をそのまま生きたような人だったと言える。
僕の中では偉人の一人だった。
やはり近代とは一つの時代なのだと思う。
それでも、近代は僕たちの想像を越えて近い時代だったのだと痛感する事になった。

お客様の一人は舞台を観て帰宅して家族に話をしてビックリしたそうだ。
自分の祖父が当時警察署長で、軍に追い返された経験を持った人だったという。
本人はそのことにとても不名誉で情けない思いを持ったままだったという。
驚いて観劇後にすぐに知らせてくれた。
まさか自分が二二六事件と繋がっているなんて想像もしていなかったようだ。
他にも都内に祖父母が住んでいた人は驚いている。
当時はまだ夜が静かだったから銃声を聞いた人なども予想以上に多かった。

また僕の知人の一人は、新国立美術館を建設する現場に派遣されたという。
工事内容を聞くと、そこがかつての歩兵第三連隊で、その一角の補修、保尊工事だったという。
本当は全て解体する予定だったけれどとある国会議員の一言で保存が決定したようだ。
友人はそのボロボロになった鉄筋の建造物の補修をやっていたのに、
とある建設会社のまるで軍隊のような朝礼を見ているうちに妙に気持ち悪くなったのだという。
そして、その補修工事は気持ち悪くなったので・・・と途中でやめたそうだ。
友人一人がやめたところでその工事がなくなるわけでもない。
だから、今も、野中大尉や、安藤大尉や、祖父が通った歩兵第三連隊は一部を残している。
歩兵第一連隊が今、六本木に新しく建つミッドナイトタウンとして注目されているのだから不思議だ。

六本木が今も何故あんなに外国人が多くにぎわっているかはご存知だろうか?
かつての歩兵第一連隊は敗戦後連合軍に接収される事になった。
結果、六本木の旧防衛庁跡などには外国人が多く住む事になる。
自然に六本木は外国人が喜ぶような繁華街へと変貌していった。
電車だけで考えれば不便な場所に位置しているものの、
日本という国の中枢を地図で見開けば六本木が車、足で移動する場合において、
どれほど重要な位置にあるのかがすぐにわかるはずだ。
六本木が今も栄えているのは敗戦の名残なのだと僕は知った。

舞台中、胸に忍ばせていた祖父の写真を改めて観る。
写真のL版の左3分の1の写真。右3分の2はどこに行ったのだろう。
場所はやはり今も残る歩兵第三連隊の玄関だと一目でわかる。
白手袋で僕が使用したサーベルを持っている。
足元はゲートルだから少尉任官前だろうか?
けれども、指揮刀を持っているということはもう准尉なのかもしれない。
左下に走り書きのようにメモがされている。
昭和7、27歳
大学卒業後幹部候補生として軍に入った祖父は、先任将校よりも年上だった。
「二二六事件と郷土兵」を読むとそこにも年上の軍曹などの手記が見える。
青年将校達に現在の政治をどう思うかその大卒の軍曹は聞かれたという。
祖父もそういう一場面が会ったのかもしれないと想像する。

ふと気付いた。
当時はまだ数えで年齢を数える。
昭和7年に27歳だとすれば。
安藤大尉と同年齢だったという事だ。
昭和11年満30歳で処刑された安藤大尉も。
この写真当時にこの建物の中で将校として活躍していたのだ。

思い出した。
祖父はハッキリと僕に友達だといった。
五社英雄監督の「226」を見た帰りの喫茶店。
祖父はパンフレットの安藤大尉を指差してハッキリと友達だったんだと言ったんだ。
そういえば鈴木貫太郎さんは小野寺の血筋というような事も少し言っていた。
調べてみると、母親が小野寺氏の家系だ。
安藤大尉と鈴木貫太郎さんの家に行ったのは祖父だったかもしれないなどと急に思う。
事件直前まで参加するかしないか激論を交わしたという。
事件中、兵を帰すように寝ずに走りまわったという。

僕は舞台でやはり安藤大尉の友人役をやりたかったのだと改めて思う。
そして歩兵第三連隊の「3」の部隊章を付けたかった。
野中大尉は悩む安藤大尉を叱咤した。
小野寺義雄は悩む安藤大尉と共に悩んだ。
たったそれだけの違いだ。

想像以上に近い時代だ。
近代とはまさにそういう時代だった。
何故、今も日本の義務教育の中できちんと教育をしないのか理解できない。
確かに教育する事は解体になってしまう危険性が伴っている。
或いは思想教育すれすれになってしまうのもわかる。
それでもここまで近い時代。
自分の祖父母が生きていた時代を知らぬまま大人になった僕がここにいる。
当時、有色人種として国連でも日本人が差別されていたことすら知らなかった僕がいる。
明治維新から終戦までの近代史はもっともっと知らなくてはいけない歴史だ。
縄文時代や戦国時代を何時間もかけて教育するのはどうかしている。
そんな国はどうやら日本だけ。
世界中の教科書を見れば近代史にもっともそのページ数が割かれている。

この作品の中で。
この事件を正しいとか、悪いとか。
そういう答えは一切出すことはなかった。
もちろん青年将校演じる役者陣は正しいのだと信じて立ち上がる。
それでも作品で見るとその答えは一切出さないままだった。
それは見たお客様が感じてくれたらそれでいい。
そういう作品になっているはずだ。
お客様に歴史を伝えたいなんてそんな偉そうな考えもない。
僕たちの劇団が常に求めているテーマ「人間」に即した事件の一つだっただけだ。

演じて。
そして終わって。
裏話を書いてきた。
そして公演からもう一週間が過ぎようとしている。
想像を越えて近い時代だった。
幕末の何倍も手記や写真が残っている時代だった。
僕たちにそんな近代を背負うことは到底不可能だろう。
ただただ目の前の演技に集中することしか出来なかったかもしれない。
そうやってこの舞台が終わって。
このBLOGもいよいよ終わりに向かおうと思う。
近い時代だった。友達だった。
そんな言葉は裏話ではないのかもしれない。
けれどもどうしても裏話はこれで終わりにしたいと思った。

何故ならこの事件には。
その前や、その後があるからだ。
この事件が起きたその前の風景も。
この事件が起きたその後の戦争も。
この作品の大きな大きな裏のテーマだったからだ。
そしてこの事件が起きたその後の戦争の後に僕たちは生まれ生きている。

明日は劇団員で反省会をする。
様々な反省課題が出るだろう。
反省を繰り返す事でしか僕たちは成長できないのだ。
それは演劇行為でも歴史においても同じ事なのだろう。

そしてこのBLOGも。
明日から最終章の「おわりに」に入ろうと思う。
裏話5:軍服と軍装
公開:
要旨: この舞台のイメージは軍服と雪から始まった。台本が妻達への遺書から始まったのだとすればイメージはやはり軍服と雪。軍服だけはなんとしてでも用意して欲しいとの強烈な演出家のメッセージがあった。当初、軍服をどうやって用意するのか。衣装係を始めとしてけんけんがくがくの大問題になった。最悪手分けして皆で作ろうという話まで出ていた。型紙から起こせば作れないわけでもあるまいとも思っていた。しかし一体幾らかかるのか・・・。・・・となれば映画や舞台などで活躍する衣装屋さんからのレンタルしかないの...
この舞台のイメージは軍服と雪から始まった。
台本が妻達への遺書から始まったのだとすればイメージはやはり軍服と雪。
軍服だけはなんとしてでも用意して欲しいとの強烈な演出家のメッセージがあった。

当初、軍服をどうやって用意するのか。
衣装係を始めとしてけんけんがくがくの大問題になった。
最悪手分けして皆で作ろうという話まで出ていた。
型紙から起こせば作れないわけでもあるまいとも思っていた。
しかし一体幾らかかるのか・・・。
・・・となれば映画や舞台などで活躍する衣装屋さんからのレンタルしかないのか・・・。
しかし、軍服をあれだけの数で用意して何日も借りるとなると・・・
予算管理する制作さんは頭を抱えていたわけだ。

そんな折。
この特設BLOGを読んでくださったとある映像監督さんがいらっしゃった。
今時の俳優で演じる役の命日にわざわざ墓参に行くなんてと感動してくださった。
そして僕に力になりますとご連絡をしてくださった。
そして東京衣装さんを僕たちに紹介してくださったのだ。
僕は登場する全ての役の階級や所属部隊を書いた紙を持って打ち合わせに行く。
衣装係と共に深々と頭を下げて、ようやくあの軍服を予算内で用意する事が出来た。
帽子もセットで借りる事が出来た。

問題は軍装だった。
ベルト、長靴、軍刀、ホルスター。
想像以上に必要なものが多かった。
役者は各個人で似たようなものを探し回り用意した。

一番大変だったのが長靴だった。
当時の写真を見ると、革キャハンを安藤大尉と栗原中尉がつけていた。
雪の日だから、恐らく長靴だとは思いつつも、キャハンでもいいという事になった。
役者によっては乗馬ブーツを新調した人までいた。
僕は長靴に関してはネット通販で一番大きな靴を買い、それを切って縫い直して作成した。

軍刀はなによりも大事だ。
写真で見る限りは、日本刀と殆ど変わらない。
変わるのは、茶革で包んであったり、ぶるさげる用のリングがついていたりという点だけだ。
祖父の軍刀があったのでこれをまずは手先の器用な中野圭に見せて、
布テープを日本刀に巻く事で軍刀のように見えるような工夫を重ねた。
僕は祖父の指揮刀が歯引きをしてある刀だったのでこれを使用する事に決めた。
一人ぐらいサーベルを持って欲しいと言う要望と、指揮官的なイメージも後押しした。

拳銃は火薬で火花が出るもの。
当時の拳銃だからなるべく小さいもの。
そしてその火花がなるべく遠くまで飛ぶものを探した。
勿論、火薬については消防法があるので、
消防局に届け出を出さなくてもいい5歳児以下でも使用が出来るものにした。
結果的に子供用の一番安価な拳銃がもっとも暗い中の殺陣で効果的だとわかった。
照明を暗くしたら数十cmも火花が飛び出していて、皆が驚いていた。

ベルトやホルスターなどはそれぞれ中田商店などで用意した。
僕はわざわざ本店二階にいる中田商店の社長と話をして、手袋なども買った。
当時のレプリカを中国で制作し販売している。
前後2〜3年、時代がずれているのも見ているとあったけれど、
基本的には日本陸軍が使用していたままのものを今も販売している。
軍用品というのは実に機能的で、普通に芝居などではなく売れるようだ。
実際、アメリカ空軍のMA-1というジャケットなんかは大流行をした。
軽い、着脱が楽、機能的な収納が出来る、頑丈などなど。
その上、安いものもあるのだから、売れるのはよくわかる。

さて以上が目に見える範囲内の軍服、軍装だった。
けれど実は目に見えない部分でも様々な小道具があった。

例えば何人かの青年将校を演じた男子は。
胸ポケットに昭和天皇の写真を忍ばせていた。
天皇と民の為の義挙をした青年将校だった。
だからこそ、その青年将校を演じるならと胸に入れていた。
下山ひろみ演じる寸美奈子が週番、丹生中尉からの手紙を読むけれども、
あれも丹生中尉を演じた織田稚成が直筆で書いたものだった。
僕は胸のポケットに祖父の昭和7年当時の軍服姿の写真を入れていた。
腰に下げているのは、僕が下げていたサーベルだった。

それともう一つ。
実は劇の途中から胸のポケットに遺書を入れていた。
相沢事件後。裁判の傍聴に行った帰り、美保子にたしなめられる。
そのまま僕はだっと袖に飛び込んで、死の決意をした。
そして遺書にもう一度目を通して、
「我、狂か愚か知らず、一路遂に奔騰するのみ 陸軍歩兵大尉 野中四郎」
そう呟いて、遺書を胸にしまった。
その後はもう死の決意をした後のシーンだったからだ。

他にも様々な小道具があった。
あのヨウカンも出来れば本当に古いものにして欲しかったぐらいだ。

そして雪。
雪は最大の演出とデビッド宮原は言った。
小屋入りの日。
女優全員があのロビーに座り込んで紙を切った。
最後の横断幕を縫う女優もいた。
一日中、ずっとずっと切り続けた。


軍服がそろい、雪が降った時に。
演出家の求めていた絵が完成した。
裏話4:ご子息への思い
公開:
要旨: 末松太平大尉のご子息のBLOGに青年将校の妻たちの写真が掲載されていた。不覚にも涙が流れてきた。前日には作品でも登場した村中静さんの直筆の手紙も公開されていた。「僕の分まで生きてくれ・・・しーちゃん」という台詞が僕は大好きだった。この写真を見ると本当に生きていったのだなと感情がぶり返してしまった。「あなたが死んだら私も死にます」と泣きながら叫んだ登美子さんは。実際に磯部元一等主計の処刑3年後に病没してらっしゃる。当時の武人の妻の常識は今では考えられないけれど。夫の責任を背負っ...
末松太平大尉のご子息のBLOGに青年将校の妻たちの写真が掲載されていた。
不覚にも涙が流れてきた。
前日には作品でも登場した村中静さんの直筆の手紙も公開されていた。
「僕の分まで生きてくれ・・・しーちゃん」という台詞が僕は大好きだった。
この写真を見ると本当に生きていったのだなと感情がぶり返してしまった。
「あなたが死んだら私も死にます」と泣きながら叫んだ登美子さんは。
実際に磯部元一等主計の処刑3年後に病没してらっしゃる。

当時の武人の妻の常識は今では考えられないけれど。
夫の責任を背負って、後追い自殺するのがどうやら当然だった。
栗原玉枝さんの服毒自殺も周囲からの圧力があったらしいとの話もあるぐらいだ。
家を守るという観念の強かった時代。
家人の許しがなければ夫の死後も籍を抜けない時代。
軍人、武人の妻という立場は今の常識では計り知れない。
実際に、二・二六事件を起こした将校ではないのに、妻と心中をした軍人もいた。
その心中こそ、三島由紀夫の「憂国」という作品のベースになった。

劇中では村中、磯部のみが妻へ「死んではいけない」と話している。
けれど実際は彼ら二人だけではない。
販売されたパンフに掲載した遺書にも幾つか残っているように。
殆どの青年将校が妻に、生きてくれと手紙を書いている。
生きてくれと書くほど、後追い自殺をすることのほうが常識だった証拠だろう。
青年将校たちは、妻たちに生きてくれと切々と願った。
村中夫婦の芝居は、死を覚悟したしーちゃんの気持ちを察して、
「変な事を考えてはいけないよ」と言わせて。
磯部夫婦の芝居は、はっきりと生きるように指示をした。
僕の分まで生きてくれという願いは、青年将校全てが残した遺志だった。
昭和維新への遺志と比較しても決して見劣りがしない強い強い遺志だった。

今回の作品は恋愛をテーマとしていたから。
部下との関係性を書かなかったと先日も書いた。
けれどもう一つ大事な事がある。
それはご子息への想いだ。
幾つかの遺書を読んで、子供もいたのだと理解した方もいらっしゃると思う。
実際に、何人かの将校にはまだ幼い子供がいたのだ。
劇中には登場しなかっただけで、青年将校たちのご子息の思いを思うと。
どうにもやりきれない思いが溢れてくる。

例えば對馬中尉は。
産後の肥立ちが悪い妻と駅で最後の別れをすることになる。
その後、病状が回復しない千代子さんは面会が出来ないままだった。
けれど、子供は、母親の手に抱かれて面会にやってきた。
たった一人で母さんの・・・の遺書は何度読んでも涙が出てくる。

例えば田中中尉は。
獄中で二ヶ月の新婚の久子さんの懐妊を知る事になる。
まだ男児が女児かもわからないまま。
絶対に男だと言い「孝」と名付ける。
そして処刑後に実際に男の子が予言通りに生まれた。

野中大尉、香田大尉、村中元大尉、安藤大尉など年長者は特にそうだ。
野中大尉は一人娘がいた。
事件後の3月3日が初節句だったという。
雛人形を前に初節句を祝うその三日前に父は自決をしたことになる。

二十二士の妻たちはもう故人となられている。
けれどご子息たちは今もこの日本に生きている。
事件について、あえて過ぎた事と知ろうとしないご子息もいるだろう。
事件について、残さなければならないと思うご子息もいるだろう。
幼くして亡くした父の言葉をいつまでも胸に抱いているご子息もいるのだろう。

僕たちはあくまでも今を生きる普通のどこにでもいるような皆様に。
老若男女区別なく、何かを届けられるように作品に挑んだ。
決して、マスコミ関係者や、演劇関係者に見せる作品ではなく、
当然、ご遺族へ届けた作品ではない。
あくまでも、一般のお客様に少しでも何かを届ければという思いからだ。
そして幾つかの感想を読んで、ああ届いているなと実感を重ねる毎日だ。
そのお客様に届けている姿こそ、ご遺族の方々には観て頂きたかったのかもしれない。

何人かのご子息、ご遺族の方が会場に足を運んでくださった。
舞台上には故人だけが登場をしたのだなと改めて思う。
そしてふと気付いたのだ。

ご子息たちにとっては。
父の舞台というよりも。
母たちの舞台だったのではないかと。
裏話3:エキストラ
公開:
要旨: 今回は恋愛に的を絞った作品だった。だから観てお分かりのように。前方公演墳史上最多の二人芝居シーン数だった。二人芝居は芝居の基本中の基本。相手との心と言葉のキャッチボールこそ芝居の基礎だ。殆どの劇団員が青年将校と妻を演じた。焦点が青年将校と妻の関係性だったからだ。ただそれではどうしても事件が先に進まない。だからこそ、多くのエキストラが登場した。最初に登場するのは対馬の部下の二人、そして中国の匪賊だった。あれを戦争シーンと思った人は多いと思う。けれどもあれは戦争とは少し違うものだ...
今回は恋愛に的を絞った作品だった。
だから観てお分かりのように。
前方公演墳史上最多の二人芝居シーン数だった。
二人芝居は芝居の基本中の基本。
相手との心と言葉のキャッチボールこそ芝居の基礎だ。
殆どの劇団員が青年将校と妻を演じた。

焦点が青年将校と妻の関係性だったからだ。

ただそれではどうしても事件が先に進まない。
だからこそ、多くのエキストラが登場した。
最初に登場するのは対馬の部下の二人、そして中国の匪賊だった。
あれを戦争シーンと思った人は多いと思う。
けれどもあれは戦争とは少し違うものだ。
戦闘行為では歩けれど、満州事変後のゲリラとの戦闘で、
国と国とが争う戦争ではない。
戦争は二二六事件の一年後に始まるのだ。
対馬中尉が満州事変に伴って大陸に派遣され部下を失ったのは本当の話だ。
そこで、部下の骨を飲み込んで帰国したという逸話すらある。

その次に登場するのが西田税襲撃の川崎長光だった。
西田は最初から最後まで武力決起には反対していて、
五・一五事件において陸軍将校を止めた西田は逆恨みされ狙撃された。
結果、海軍青年将校による、犬飼首相殺害になるわけだけれども、
その西田襲撃班も舞台に登場することとなった。

次の登場人物は門番だった。
真崎教育総監更迭に伴い、陸軍省から早足で将校達が出てくる。
その際に、銃をきちんと捧げる役割だった。

その次の登場人物はもう殺陣の中の人物だった。
河野大尉、水上源一、坂井中尉、安田少尉、高橋少尉、
斎藤実とその妻、松尾伝蔵、高橋是清、鈴木貫太郎とその妻たか。
暗い殺陣の中のシーンだから殆ど分からないままだっただろう。
それでも実はきちんと配役されて登場していた。
もちろん、多くの兵、多くの警官も登場した。

そして最後のエキストラが看守だ。
村中、磯部の獄中の面会のシーン。
デビッド宮原は看守にも拘って何度となく演出を繰り返した。

結果的に本隊はPASHIRIがいなくては。
PASHIRIは本隊がいなくては成立しない舞台になっていた。
しかもクライマックスの殺陣は殆ど本役が登場しないというパラドクスが起きた。
こんな事は今までの作品を通じて初めてだった。
栗原中尉ですら写真で確認するだけ。
安藤大尉は、とどめすらさせずにその場を去るのだ。
戦っていたのは全てエキストラだった。

カーテンコールに並んでいたのは全て本役の役者たちだった。
けれども裏では走り回ったエキストラが大勢いた。
そして真剣に台詞がない役であろうと立ち向かった。
その登場人物の全てが、本当にいた人だった、

祖父のアルバムに。
中国匪賊の写真がある。
匪賊と書かれている。
不思議とその匪賊は縁側に座り笑顔だ。
傍には日本兵もいる。
しかし険しい顔などしていない。
匪賊虐殺が実際に行われていた個所もきっとあったのだろうけれど。
劇中で対馬が一人を逃がしたように。
武装解除後は関係性を築いた将校もやはりいたのだと思う。
少なくても、祖父のアルバム内で匪賊は縄で縛られてさえいない。

舞台も映画も。
エキストラの質でその作品がわかったりする。
ハリウッド映画などのエキストラはオーディションで選考されている。
黒沢明は七人の侍で一ヶ月間も村での生活をさせたという。

エキストラというには余りにも大きすぎる役だった。

僕は今、鈴木貫太郎自伝を読んでいる。
僕たちが思いを馳せたのは青年将校だけではないからだ。
裏話2:中々気づかないこと。
公開:
要旨: 今回の舞台は見て頂いたように。このBLOGに書かれてきたいくつものエピソードを端折っている。それはやはりテーマに集中させるためだったし、群集劇という性格上余りにも多くの要素を詰め込むとわからなくなるからだ。例えばニ・二六事件と言えば、青年将校と下士官兵の関係性がメインだ。大体どんな物語を読んでも部下と隊長の関係を中心に書かれる。けれどこの「恋が散る、雪が舞う」では恋愛を中心に書かれた。だから安藤大尉が兵を帰すシーンのみに絞られた。それでも随所に実はこだわりがちりばめられていた...
今回の舞台は見て頂いたように。
このBLOGに書かれてきたいくつものエピソードを端折っている。
それはやはりテーマに集中させるためだったし、
群集劇という性格上余りにも多くの要素を詰め込むとわからなくなるからだ。

例えばニ・二六事件と言えば、青年将校と下士官兵の関係性がメインだ。
大体どんな物語を読んでも部下と隊長の関係を中心に書かれる。
けれどこの「恋が散る、雪が舞う」では恋愛を中心に書かれた。
だから安藤大尉が兵を帰すシーンのみに絞られた。
それでも随所に実はこだわりがちりばめられていた。
何人が気づいただろうか?
天皇の奉勅命令のくだりから薄く薄く流れていたこのラジオ放送に。

以前に書いた「兵に告ぐ」のラジオ放送である。
こんなもの流しても観客の誰が気づくというのか?
言葉も聞き取れないほどのボリウムで誰が聞き取れるのか?

もちろんこのラジオ放送は本物ではない。
僕がナレーションと同時に録音したものだ。
当時の原稿を僕がアナウンサー風に読み上げて、
音響操作のKORNさんが音の帯域を絞ってノイズをかぶせてある。
70年前のこの放送が残っているのかは知らない。
けれど少なくても本物を聞いた事はない。
大本営発表!などという声は何度か聴いているけれど。
この「兵に告ぐ」については聞いたことが無い。
だから再現してみたかった。
お客様もわからないようなSEなのにそんなこだわりがあった。

お客様が中々気づかないようなことが他にも幾つもちりばめられている。
僕が青年将校の激論のシーンでもっとも好きだった台詞が、
丹生中尉の「少なくても・・・岡田内閣を倒さなくては!!」という台詞だった。
よほど注意していないとこの台詞の重さはわからないはずだ。
なんせ、劇中では豆腐屋の相前さんの一言でしか説明されていない。
丹生中尉は、岡田啓介首相の親戚で、ここ大事なとこですから!と説明してる。
けれども、大事なのだけれど、テーマからは外れる。
だからそこまで深くは書かれていない。
あの激論シーンで、悩んでいる香田・安藤はともかくとして。
丹生中尉もじっと下を向き続ける。
そして、感極まって、ついに口にするのだ。
自らの血縁者である岡田啓介の打倒を。
そしてその余りにも切ない一言によって安藤は叫んだ。
「剣は抜かないから強いのだ!」と。
毎日のように激論は繰り返された。
下手に反対をすれば大喧嘩になる。
この一言を同志の前で発するにはそれだけの覚悟の台詞が直前にあったからだ。
丹生役も安藤役も気付いていた。お客様にはわからないだろうと。
それでも、そこを熱心にこだわって演じ続けた。

例えば袖の芝居などはお客様の目に届かないことになる。
安藤大尉が兵を帰すシーン。
袖には十人以上の役者がスタンバイしていた。
男も女も後輩もさっき死んだばかりの僕もだ。
そして、安藤大尉の「ありがとう」という言葉に。
本気で袖で号泣していた。
すすり泣く声がお客様にどのぐらい聞こえているのかもわからない。
それでもボロボロ本気で泣いていた。
行進の足音は実際に気を付けを、回れ右を、前へ進めをやった。
稽古場で始めてやったときは僕一人だったのに。
本番ではいつの間にか何十人もが袖に集まった。
高橋二号は初めてその足音を演じたときに。
回れ右がこんなに悲しいなんてと涙を流した。

他にも。
お客様が気付かないようなこだわりが随所にちりばめてある。
獄中での面会の看守だってそうだ。
門番の構えだって、捧げ銃(ササゲツツ)だってそうだ。
かしらみぎだってそうさ。
細かく細かくこだわりをちりばめていった。
石投げの水の音でさえ、バケツに水を張って録音した音を使った。
衣装換えだけでも女優は何度も繰り返している。
最大で6回も衣装を変えた女優もいた。
美保子さんは独身時代と結婚後で衣装も帯の結び方も替え、
土下座のシーンでは喪服に近いくらい色を、カーテンコールでは帯を明るくした。

そう。衣装といえば。
例えば西田はつの衣装が何故高価であったのかも説明されなかった。
それは実は史実通り、本当の事だった。
西田はつは、お金がある時に高価な着物を買って、
いざという時に売れるように準備していた。
台本で説明するのかなと思ったけれど説明されないままだった。
実は籍を入れていないことも説明されなかった。
台詞で喋らせれば簡単なことだ。
けれども、そこは説明しなくていいという判断があったのだろう。
恐らくお客様の殆どは理解できないままだと思う。
けれどもデビッド宮原はそれでいいのだとしたのだろう。

中々気付かないこと。
今回の舞台にも散りばめられていた。
2000人に近いお客様の中で何人が気付いたかもわからないようなこと。
たった一人でも気付けばいいというような小さなこだわり。

そういうこだわりが重なって大きな作品が出来上がっている。
裏話1:野中四郎大尉を選んだ理由
公開:
要旨: 舞台が終わった。千秋楽はこのBLOGの108話目になっていた。煩悩の数。もうあの軍服に袖を通す事も無い。僕はまだ呆然としたままだ。もうすぐこのBLOGも終わる。いくつかの舞台裏話を残して。僕は野中四郎大尉を演じたいと言っていたのはもう最初の台本が出来た頃からだ。中橋のオープニングはまだ無かったけれど、当然その台本には野中大尉は登場していなかった。劇団員の殆どは何故小野寺が野中大尉を演じたいのかわからないと言った人もいた。事実、PASHIRIでは立候補者が一人もいなかったという...
舞台が終わった。
千秋楽はこのBLOGの108話目になっていた。
煩悩の数。
もうあの軍服に袖を通す事も無い。
僕はまだ呆然としたままだ。
もうすぐこのBLOGも終わる。
いくつかの舞台裏話を残して。

僕は野中四郎大尉を演じたいと言っていたのはもう最初の台本が出来た頃からだ。
中橋のオープニングはまだ無かったけれど、当然その台本には野中大尉は登場していなかった。
劇団員の殆どは何故小野寺が野中大尉を演じたいのかわからないと言った人もいた。
事実、PASHIRIでは立候補者が一人もいなかったという。
ようやく台本に登場したのは開始30分後のシーン。
そこで話される言葉は、モナカさんのくだりだった。
そして「駄目な人間です」と口にする一人の青年でしかなかった。
それでも僕は野中四郎大尉を演じたいと思っていた。

僕はこの劇団の作品ではいつも開始シーンに登場しているイメージがあるそうだ。
開始シーンに登場しなくても、その次かその次にはいつも登場している。
だから何人かに、逆に止められた。
そして出来れば磯部さんか安藤さんをやって欲しいと言われた。
けれど個人的には磯部さんや安藤さんは演じることは出来ないと思っていた。
安藤さんの兵を帰すシーン、磯部さんの獄中のシーン。
台本がまだ前半部分の頃からそれがあるのだと思ってはいた。
それを演じてみたいという自分もあったことにはあった。
二・二六事件と言えば、安藤・磯部だと最初から思っていた部分もあった。
それでも僕にはこの二人を演じる事が出来なかった。
二人が獄中で残した恨みの言葉を僕は既に知っていた。
そして僕という役者が半年掛りでこの役にのめりこむ作業をすればそれは。
自分でも想像がつかないような事態になってしまうという無意識のブレーキがかかった。
何故なら、今も、安藤や磯部を思うと泣けてきてしまうからだ。
やれと言われればやる。
でも僕は、祖父という安藤さんの友人であった一人を知っている。
だから積極的ではなかった。
それでも、安藤さんと磯部さんの台詞は完全に自分の中にいれて稽古を続けていた。

しかしそれよりも何よりも。
僕は野中四郎に魅力を感じつづけていた。
(正確には相沢中佐にも強烈な魅力を感じていたが出てこなかった)
事件一週間前の2月19日に既に遺書を書いている人。
その遺書の中には「賊軍」という言葉さえ見つかる。
既に彼は一週間前の時点でこの事件の顛末さえも予測していた。
彼が記した蹶起趣意書には自分の名前しか書いていない。
責任がすべて自分に集中するように最初からしている。
警視庁の占拠は最大兵力の500人を率いている。
他の襲撃個所とは違って、交戦状態になれば最も危険な場所に行く。
それでも野中大尉は一滴の血も流さないまま占拠に成功している。
四日間の行動もどこをきりとっても冷静な判断をしている。
2万の兵力に囲まれた際の引き際まで一人際立っている。
そして謎の自決。
青年将校達に裁判で戦うために生きろと言い残しての自決。
彼の行動を追っていけば行くほど、冷静であることがわかる。
一遍の謎すらないはずだ。
野中四郎という人の奥の奥に、僕は何かを見つけたかった。
いや、その純粋な何かの向こうにこの事件の真実が見つかるとおいらは思っていた。

最初の台詞で僕はわかった。
デビッド宮原が野中四郎を通して書く何かを。
それは、最初の最初の台詞からだった。
美保子に何故軍人に?と聞かれたデビッド宮原の書く野中四郎は言う。
「家族の期待に答えなければならないという気持ちがどこかにあったのかもしれません」
デビッド宮原は野中四郎という青年将校の中に「私」と呼ばれるものの一切をなくしていた。
流されやすく、善悪の判断をするのにも悩んでしまう青年。自分を駄目な人間だという青年。
軍人になった事でさえ、自分のためではなく「家族」のためだといきなり語らせた。
「私」がないんですね?と確認するとすぐに「そうだ」とデビッド宮原は答えた。
そして「私」がないキャラクターはこの劇団の作品で初だとデビッド宮原は言った。

国家改造運動に荷担していた形跡が一切無いのに。
二・二六事件という最大の事件で総大将になっている人。
西田税も北一輝も面識すらなかったという。
憲兵もまったくのノーマークの人物だった。
口数が少なく、将校でありながら草むしりをやっていた人。
政治的な話での討論などは一切しなかった人。

前半。青年将校の誰とも絡む事がない役。
悩み、自分を駄目だと評し、善悪の判断すら出来ぬとこぼし、
求婚するのに何度も何度も恋人にはぐらかされ、
軍人の妻とは夫の死を覚悟することなのだと恋人に言われてしまい、
それでも求婚をして、不死を誓う。
一人の悩める青年。今の僕よりも二つだけ年下の青年。

後半。ようやく絡む将校は同じ歩兵第三連隊の安藤大尉のみ。
相沢中佐の自らの命を捨てるような覚悟に震えてしまう。
相沢中佐が何故そのような事件を起こさねばならなかったのか。
善悪の判断にも何日もかけてしまう青年は悩みつづける。
それでもデビッド宮原は彼に多くを語らせない。語らせる事をむしろこばんだ。
相沢中佐にも妻や子供がいる。その顔を思い浮かべながら僕は台詞を言う。
それでも、相沢中佐の家族の事など一切口にすることはない。
ただただ前を向くだけだ。
そして安藤を叱咤する。
同志を見殺しにしてはいけないと叱咤する。
ここで初めて野中は舞台上で事件と関係する。
もう舞台も終わりかけている最後の最後でだ。
そして彼は言う。
「俺は国家の捨て石となる。国家の腐敗に一石を投じる石となる。それが俺の定めと悟った」
この台詞を理解した観客がとれだけいたのだろう。
デビッド宮原は、野中四郎の死の決意をこんな言葉で書き、そして黙ったまま正座をさせた。

事件は、人を殺すのだ。
誰かが責任を取らなければなるまい。
たとえ昭和維新が成功したとしても。失敗したとしても。
責任だけは誰かが取らなくてはいけない。
野中四郎は事件の前に既に死を決断していた。

黙ったままの正座が僕のもっとも大変な場面となった。
台詞という言葉で説明する何十倍も大変だった。
僕は泣く事もない、笑う事も無い、怒る事も無い。
最初から最後まで、冷静に全ての感情を持ったまま、全ての感情を殺しつづけた。
その頂点となるシーンが、あの黙ったままの正座になった。
全ての将校が様々な感情表現をする中。
涙をこらえながらただ黙って中を見つめて正座を続けた。
置いていく美保子を思って。
涙をこぼす農村出身の部下を思って。
今、まさに立ち上がろうとする同志を思って。
自らの命を投じた相沢中佐を思って。
舞台の上で毎回胃が縮むのを感じながら黙って正座をした。
袖に飛び込むといつも涙がどぼどぼとあふれ出た。
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次に登場したときには既に総大将になっていた。
もう、悩める青年の姿はどこにも無い。
死を覚悟した激する将校達の中で一人冷静な男でありつづけた。
事件そのものであるアクションシーンでもたった一人、走らずに歩いた。

そして自決前のシーンがやってきた。
磯部は村中に最後の一人になるまで戦うと怒鳴る。
栗原は落涙しながら兵を帰して我々は自決しようと言う。
将校たちはうなだれる。
僕は彼らを見つめてから叱咤する。
生き続けろ。生きて戦え。裁判で戦え。
絶対にここにいる誰一人として殺すつもりは無かった。
総大将の責任は一人の兵も殺さぬことこそが最大の成功だ。
磯部、死ぬまで戦うなんて言うな。
栗原、自決しようなんて言うな。
生きろ。生きて生きて戦え。
哀しい思いをするのは俺だけでいいんだ。
いや、俺と美保子と保子だけでいいんだ。

そして銃声がなったんだ。

僕はこの作品を通して。
青年将校が美しく見えるだろうと最初から予感していた。
それでも、絶対に。
人を殺すような事はあってはならないと思う。
だから、野中四郎というワタクシのない人物を通じて伝えたかった。
本当に美しい事は、誰にでもあるようなどこにでもあるような毎日なのだと。
だから野中四郎を大事に演じたかった。

僕にとっては初めてだった。
出番が遅い事も。
登場回数が少ない事も。
口数が少ない事も。
笑わない事も。
泣かない事も。
怒らない事も。
感情を殺し続ける役なんて初めてだった。

そして。
多くの恋人同士の中で野中夫妻と玉枝だけが背負ったものがあった。
それは軍人の夫婦だった。
カカア天下や、夫婦喧嘩ばかりの夫婦など現代にもある関係ではない。
武人と武人の妻という関係性。
ここを演じるカップルは野中夫妻だけになってしまった。
作品の性格上そうなってしまっただけだ。
本当は全ての青年将校たちの家庭がそうだった。
この作品で伝えたい事のためにさまざまな恋人関係を描いたら。
結局、野中夫妻だけが残ってしまった。家を守る玉枝だけが残ってしまった。


だから僕は袖で頭を下げつづけた。
美保子さんが世間に向かって立派に武人の妻として土下座をしている時に。
いや、玉枝さんが栗原の罪を背負って服毒自殺をするまで。
夫の事件まで背負った妻たちに頭を下げつづけた。
床の上に涙がポトポト落ちた。

この舞台を通じて。
「青年将校は正しかったんだ」というだけの感想を持った人がいたのならば。
きっときっと自分の責任だと今も思っている。
袖でしか涙を流せない役を通じて、僕は、作品の中のその部分を演じたかった。
祖父も関係したこの事件の自分の中での答えを。
事件前に死を決意した人を通じて感じたかった。

僕にそれが出来たのだろうか。
それでも僕は野中四郎大尉を選んで本当に良かったと思っている。
初日の昼間にバリカンで髪を丸めた。
坊主でも軍人でも意味は同じ。
煩悩を断ち切るという意味がそこに込められている。
極端に短い髪は、死を覚悟した・・・いや、生への執着を捨てた男そのものとなるためだった。

国のため、軍のため、同志のため、部下のため、家族のため、妻のため、娘のため。
何かのためばかりで、そこにワタクシはないまま僕は散っていった。